八木秋子への注釈

目次

★第1夜 八木秋子のプロフィール(1895年~1983年)

1975年9月16日、八木秋子と出会う。1977年7月個人通信「あるはなく」発行へ。

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★第2夜  毎日新聞などが伝えた訃報

1983年4月30日逝去。全国紙、特に毎日新聞は「戦前、婦人解放に活動」と。

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★第3夜 脱走から通信発行へ

1977年1月30日、八木(81)老人ホームからサンダル履きで脱走。相京宅へ。

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★第4夜 「訃報」の注釈

昏睡に陥る前の数時間「書いた、書けない、書きたい」と。
走馬燈の如し

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★第5夜 出会いと背景 その壱

1975年9月突然八木のアパートを訪問。
競馬人、白井新平社長に同行。偶然の出会い。

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★第6夜 出会いと背景 その弐

森崎和江の影響。他者との裂け目こそ出立の原点。
必然的な出会い。

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★第7夜 出会いと背景 その参

1975年の「ベトコンノート」。
その「こころ構え」に今の相京も感慨深い。

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★第8夜 出会いと背景 その四

1976年清瀬の栄荘「4畳半独居生活」の八木秋子を何度か訪問。
7月李枝誕生。

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★第9夜 出会いと背景 その五

11月、李枝の初外出先は清瀬の栄荘。
八木秋子、老人ホーム入りで迷う。

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★第10夜 注釈:八木秋子の周辺の人たち-川柳作家児玉はる-

下町の職人気質や相互扶助の世界を砥石にして印刷工に、児玉はる。

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