八木秋子著作集『近代の<負>を背負う女』は、発刊後、予想を上まわる反響を呼び、いくつかの新聞や書評紙、冊子に紹介され、八木秋子への取材が重なりました。
その書評を3夜にわたって紹介してきましたが、わたしにとってそのことはたいへん嬉しかったと同時に、本当にこれでよいのだろうか、八木秋子の生涯は正当に評価されているのか、わたしが編集した「八木秋子の世界」は彼女の尊厳を冒すようなことになっていないか、その不安はわたしの内部に沸々とわき上がってきました。
そこで振り返ったのがこれから掲載する文章です。八木秋子はわたしへの感謝の言葉を「転生記」で書いてくれましたが、わたし自身、自分の立つ位置を見誤ってはならないという戒めの文章です。爪先立って、必死に、無我夢中で時代に向かおうとして緊張した時間の連続をいまでも思い出します。誤解を恐れていては前に進めない、自負を持とう。しかし、一方で傲慢になってはならないという気持ちでした、それはいまでも変わらない「八木秋子から教えていただいたことの一つ」です。
では、お読みください。
☆著作集発行の経過と言うべきこと 「あるはなく」第7号 1978/9/25
相京範昭
八木秋子著作集Ⅰ『近代の<負>を背負う女』の発行の事後報告を兼ねて若干思うところを書いてみたい。
著作集は、実際のところ出版記念会(4月29日)の前日にようやく出来あがった。計画を思いたったのは昨年の11月頃で、それまでに、八木秋子の著作の諸々は近代文学館等で集めはしていたもののその本の発行にはあまり積極的ではなかったかと思う。それは著作集の発行に費やす時間、費用はまず「あるはなく」に全面的に注ぎ込むべきだと考えていたからであった。私は、過去を過去として引ぎ摺る現在の彼女の生きる姿勢に深く共鳴したからである。つまり彼女は”私はこれでよいのか!”という問いを常に持っており、かつての彼女、また年を重ねる私達の将来の時間の中で語ることは許さないし”今”が重要であって、過去も未来もさほど重きをなさない。
発行を思い立ったのはたわいもないことだった。印刷屋は2月は暇になる、「タイプが空いたのでどうだいタイプでやらないか」という誘いに乗って植字を始めた。ところがしばらくして、私が勤めている会社に出入りしていたJCA出版の根来君と私の会社の社長が企画して一冊の上製本を作った。それで、ある時、この著作集の発行を彼に話したら、上製本にして自分の処で販売しないか、ということになった。私は費用の点で300部から400部程度の印刷を考えていたが、同時に八木さんが正月、家にみえたとき、不特定多数の人に読んでもらいたいと話していたので、それでは、と思い1000部発行で上製本に踏み切った。それにかかる費用は何とか工面しようとした。そして発行したが末尾につけた年譜も第2頁(注:「あるはなく」第7号)にあるように、訂正するような粗いものになった。
ところが、八木さんが蒔いておいた種は各所で芽が出て、またじっと八木に注目していた人達が著作集の発行を機に出現した。そして八木秋子の存在を私達の充分の思い入れでもって知らせる必要から各新聞社に送ったところ、皆さん御存知のような反響となって返ってきた。まず、6月10日の東京新聞読書欄ミニニュースで取りあげられ、続いて6月16日婦人民主新聞の「ごめんください」という欄で『燃焼し続ける女』として人物紹介をして下さった。彼女が60年安保闘争のとき、婦人民主グラブのデモの隊列に加わったことを当時の日記で知ることができるが、その新聞で紹介されるとは、運命的な出会い以上のものを感じる。
続いて、三大書評紙の一つの図書新聞に、江刺昭子氏が書評を書いて下さった。その中で彼女は八木秋子を近代日本における女性アナキストの五人のうちの一人にあげて「日本の女性アナキストの思想と活動は、今以って大方が闇に埋もれたまま、婦人解放運動史やアナキズム運動史から看過されている。このいささか片手落ちな現状に、今まで毀誉褒貶の外にいた八木秋子の著作集『近代の<負>を背負う女』の刊行は異議申し立てをしているかにみえる」と書かれている。
続いて6月末「共同通信」から各地方新聞に流された。それは現在判っている部分として、愛媛、徳島、中国、岐阜日々、信濃毎日、河北の各新聞である。それはたいがい「くらし」の欄で、老衰と退歩に抵抗する老女、としてとりあげられている。これをみても八木秋子の提起している問題が、現在を生き抜いているからこそ様々な形で扱われているのが判る。その中で筆者は『ひたむきに生きてきた彼女の肉体をくぐって生まれた言葉には真の思想といえるものがある。知識の再構成ではない、人間そのものをあらわにする言葉がある』と書かれている。私も全く同感である。その原点というべきところを抜きにして何も語れない。ただ生活を露出すれば生活を語り、日常を語っていると思っている人達もいる。がそれはいくら積み重ねてもゼロはゼロである。ゼロはなければならないものだが、ただそれだけでは意味を成し得ない。
次に6月26日「朝日新聞」の書評欄で堀場清子氏が『アナキスト・八木秋子のこと』として八木の著作集1を評された。ただし、憶面もなく書かせて頂ければ、最後尾のところは若干の誤解がある。それは、題名の近代の<負>とは、フ、であって、カチ、マケではないということである。マケといえばマケているから現在の社会があるわけである。つまり、問題はマケ方にある。フとは権力との政治的力関係の結果を問題にしているのではなく、権力、反権力の両方を含めた総体としての近代、そのゴチャマゼになっている流れが切り捨ててきたものを<負>といっているのである。だから、単に反権力の軌跡を継承しただけではその意味する処とは異なると思う。八木の戦後の政治的活動に参加しないその沈黙の意味をどうとらえるか。それを無とみるならば、それはやはり近代の<正>に位置するのではないだろうか。
また、『思想の科学』8月号で加納実紀代氏が『屹立する精神ー八木秋子論ノート』を書かれた。著作集を丹念に評された中から自身の八木論を展開された。
さて、このように私は書評、評論に対して思う処を書いてきたわけだが、そのどれをとっても、八木に対する、或いは私に対する配慮がなされている。私に関しては、これを発行してきたという事実については別に何ら言うことはない。が私への配慮によって、八木を過去においても現在においても、あたかも画面の向う側に葬り去ることになるのではないかと危倶する。私<達>が今行こうとしているのは、現在に生き、そして『出合い』を契機にして、世界を支配する政治状況を少なくとも私自身の処で切断してゆく作業であると同時に、一個の独立した人間として他者との関係を創ってゆきたいということである。彼女を評する時、評する者達がそれぞれの日常の中でとらえ返してゆかない限り、かつての知識人の犯した誤りを繰り返すことになると思うからである。それゆえ、この貴重な紙面を通じて、失礼かと思ったが紹介と共に若干の思うところを書いた次第である。もはや、言葉以上に沈黙が重きを成さねばならぬ時なのだと思う。