あるはなく第十一号

■第11号(1979820日発行)
佐上(伯)明子署名の全文掲載にあたって  相京範昭
恋愛と自由社会          佐上明子
婦人の解放へ           佐上明子
高群逸枝さんに          佐上明子
プロ文芸と将来への予想      佐上明子
奪還せよ             佐伯明子
編集後記

※第11号と一緒に送ったもの 
 あるはなく読者の方へ

■佐上(伯)明子署名の全文掲載にあたって  相京範昭

 佐上明子が八木秋子の筆名かどうかについて、いずれはっきりしなければならないとは思っていた。私がその役に耐えられるかどうかは別問題として、八木秋子の著作をこの個人通信に発表してきた作業の一貫として、佐上明子=佐伯明子=八木秋子が同一人物であると判断するに至った経過と若干の説明をしたいと思う。

 第三号の八木秋子の著作目録で触れた秋山清氏の『アナキズム文学史』で、私は初めて佐上明子と八木秋子の関係を知った。そこでは佐上の名で八木が「高群逸枝さんに」を書いたとされていた。私は著作集を編むに当ってこの扱いに苦慮したが、何しろ八木さん自身、うすぼんやりとした遠い彼方の出来事の様な状態で確認できなかった。そして秋山氏自身のロからうかがった限りでも「当時佐上明子は八木さんの筆名だというふうに聞いていた」という程度でこれまた確証はなかった。続いて私が「高群逸枝さんに」(S4・4)と「プロ文芸と将来への予想」(S4・8)を掲載した「黒色戦線」の編集者であり、後に農村青年社の同志として活躍した星野準二氏と面識になったのは出版記念会以降だった。星野氏の意見は「私は佐上明子は八木さんだとずっと思ってきた。原稿は八木さんと親しかった大塚貞三郎君がもってきたように思う。あの文章は八木さんを除いた女性で他に書ける人はいない。仮に男性を想豫する場合黒色戦線内にはいない、また思い当らない。あとは文章を読み比べて確かめるしかないと思う」ということであった。状況的にはだいたい判明したが、これでもまだ明確に言い切ることはできない。しかし、実際にそれを担当した星野氏の発言はかなりの重みをもっていることは間違いない。

 続いてこの二つの作品より半年ほど前の、アナキストの全国団体、全国労働組合自由連合会の機関紙「自由連合新聞」で、佐上の名による「恋愛と自由社会」(S3/11)「婦人の解放へ」(S4・3)の二つの文章を見つけた。それは松本正枝の呼びかけ<同新聞が男性による執筆ばかりでそれでは資本主義と同様カタワであり、婦人の投稿を>から始まり、次ぎの号では高群逸枝が「婦人の解放を-自由連合社会に求める-」で続き、そして佐上明子が書くわけである。一方八木秋子は当時女人芸術に3点ほど作品を発表していたが、10月号の「異説恋愛座談会」に出席し発言している。そこでその翌月の「恋愛と自由社会」と内容を比較してみると、前者における発言は体験から言葉を選んだ暗示に富んだ愛に関する発言である。(ここでは省くが是非機会を見て皆さんにお見せしたい)その中で「私、恋愛は性欲と友情とによって恋愛と名付けられるものちゃないかと思ふ」と発言している個所がある。これに対して後者でも「恋愛は性欲と友情で食欲と同じ本能だから……」と言及している。この性欲と友情という一種不安定な、だからこそ的を射た言葉は八木秋子らしい表現だと思う。恋愛をそのように語る人物はその座談会でも見ることはできない。

 また、「婦人の解放へ」をみてみると、その中で<先日ある会合での席上で、参政権が欲しいの結社権が欲しいと言い合った>とあるが、それもやはり前月の、八木も参加している女人芸術2月号の「誌上議壇」の中で織本貞代と永島暢子が語ったことであった。

 以上の女人芸術における八木秋子と自連新聞の佐上明子の関係は同一人物であるとして間違いないとすることができるかと思う。なぜ名前を使いわけたかということは、文学から出発した八木秋子にとって、やはリアナキズムの政治の世界における発言と一線を画す必要があったのではないだろうか。そしてアナボル論争の口火を切り、アナキスト八木秋子の名が女人芸術の方から知られることによって佐上明子の名は消える。

 そして、決定的な事実が八木さんのロから出た。それは6月、養育院を訪ねた時だった。秋山清氏から第2次黒色戦線をお借りしたことから始まる。その中にずっと探していた4月号があり佐伯明子の文と共に市ヶ谷の獄中のM生(宮崎晃)より明子(秋子)あての手紙がのっていた。その文中には「一介の糟糠の妻として暗き半世を至上の内助者たりしお前に泪とともに厚き感謝を捧げる」という一文があり、その文章を枕元で読んでいると、「そうだ、その手紙を前にして非常に興奮したのをよく覚えている。私はその直前黒髪を切り男装して警察から宮崎を奪還しようとしていたんだ、またその時原稿を書いた、何んといったかな? とにかく私にとって一番ドラマチックな時期だった」と秘められた場所に一条の光を放った。それが佐伯明子の『奪還せよ!』のはずだ。その文には農青運動にかかわる女性としての決意表明と、中心的同志を敵権力に奪われた恐りが吐かれている。

 こうして、八木さん自身の甦えりを決定打として、私は八木秋子の著作の中に佐上明子=佐伯明子を加えることにした。’

 そしてもう一つ補足するならば、地下潜行中の宮崎との生活は6年2月から7年4月までの期間だけでも8回も家を転々と活動していて、身一つといってもよいほどの状況だった。それを考慮した上で「恋愛と自由社会」と「奪還せよ!」に一貫している恋愛と自由に関する彼女の言葉を読んでみたい。そして「あるはなく」第4号にある永続的な自由への探究、第9号の転生記の自由と性に関する断片的メモ、を考える時、一見文字面は体裁を整えているかのような文章の氾濫する社会に、八木秋子の占める位置をはっきりと視ることができる。勿論私も免かれぬかも知れぬが、内側から言葉との空洞を埋める作業を続けることだけは怠ってはならぬと思っている。(相)

■恋愛と自由社会      佐上明子

【自由連合新聞29号・昭和3年11月1日発行】

 近頃のブルヂヨア雑誌はほとんど競争のやうに恋愛座談会の記事を売ものにして読者を釣つてゐる。これが一度或る雑誌に現はれると我も我もと流行のやうにいろんな知名不知名な名前を引つ張り出して看板にしてゐるがそのいふところは大概千遍一律で恋愛に永続性があるかどうかとか恋愛と夫婦愛とはどういふ違ひがあるか、一度に幾たりをも愛し得るものか、とか、中には女医まで引出して処女性の肉体的考察にまで及んでゐるが結局どの座談会だつて大抵似たか寄つたかのもので常識的な観念的な見方からああだ斯うだと散漫に喋言り合つてお茶を濁してゐるにすぎない。そこには何等来るべき理想社会のもとに芽生えるであらう、真の自由な恋愛観の暗示もなければ、生活らしい生活をも持たないプロレタリアートの恋愛は斯く々々だとの指示も見出すことは出来ない。

 兎に角、恋愛といふ問題は今のどんな階級-殊に無産階級の人達の間に時代の一の動向として、またもつと深い自分の本能生活の一部として真剣に考へられ、新しい観念をうち樹てられなければならないと思ふ。

 かつて山川菊栄氏がコムミニストの立場から恋愛は第二義として取扱はれるべきもので、我々は先づ現社会の階級戦の闘士として働く、闘争の任務が生活の第一義でなければならないと主張したのに対し、高群逸枝氏がこれを反駁して恋愛は母性としての内在的本能で決して個人愛に止まるものではなく人類への愛にまで発展すべき要素をもつてゐる。故に女性は既成の私有欲のもとに誤はれた恋愛から目覚めて恋愛によつて自由社会への理想を凝視し、そこに人類の永遠なる生命を見出すものであるといつたアナーキストの立場から抗議をおくつた事はまだ最近のことである。

 恋愛は山川氏だけでなくすべてのコムミニストからその価値を低められ、若しくは蔑視されてゐる。いま読書階級の間に問題にされてゐるアレクサンドラ・コロンタイ女史の著書『恋愛の道』はこれをよく証拠立てるものである。女史は三代の恋の終りにかういつてゐる。

 「要するに恋愛は私事であつて公事ではない。革命社会に於ける我々の価値はその人が如何に社会的に有用なる働きをなしつつあるか否かによつて定まる」と。

 そしてコムミニスト等が殆ど新社会の恋愛観を発見したかのやうに騒いでゐるこの作を通しての女史の恋愛の解釈も、私達には決して新しいものとは思はれない。まあ考へて見るがいい。恋愛は私事だとどういふ点から区別したのであるか、茲にも彼等の唯物的機械観が脱線してゐるのを見る。恋愛は人間の本能ではないか、恰も食慾によつて物を食べるやうに-本能が私事なら生きる事も私事といふ事になる。とすれば何が公事なのか?また社会的に有用な働きが一切人間の価値を決めるといふ言葉も可笑しい。それは一面尤もらしく聞えるけれど、社会的といふ標準が怪しいものだ。コツコツと見えない仕事をして生産に携はつてゐるものも、子供達を骨折つて育てる母親も、体の利かない不具者なども、要するに華々しく社会に顔を出して働いてゐるやうに認められないものはみんな価値がない人間共で、党の仕事だとか何だとかかつて委員会に出席して理論闘争をしたり、書類をもつて人民を裁判したり農村から食糧を徴収して日を暮らすやうな者が一番有用、とされるのであらう。何と笑止な価値標準だ、そんな事にはお構ひなしに労働者は真黒になつて縁の下の力持となつて下敷にされてゐる。

 三代の恋に現はれたコロンタイの恋愛観にしたつて少しも新しい観方ではない。ただ、いかにも唯物的で非道徳的で、私達女性としてはこんな恋愛観を生む革命社会は真つ平といふより仕方がない。それは私も性慾の自由は認める。認めるどころではない在来の恋愛道徳はみんな既成社会の私有観念から発した誤つた道徳であるから今こそうち破られるべきだと思ふのである、かといつて、どうして母親の愛人を奪つておいて母親の苦悶に平然として「貴女がそれほど私の行為に就いて悩まれるといふ事を前に私が察しられたなら」などと云ひ放つ娘の心理に同感出来やう。彼女はいふ「私達はあまりに仕事が忙しくて恋愛をしてゐるひまがないのです。だから偶々異性と会つた時にはその時間を有効に用ひるのです」と、組織や党の指令や、書記や軍隊や、さうした革命社会の女の仕事は恋愛ばかりか女性の一切を歪めてしまつた。

 人は何人をも愛する事が出来るし、性の行為は自由で何の道徳的規準に縛られる必要もなく一のカテゴリーの中に入れるべきものではないと思ふ。恋愛は性慾と友情で食慾と同じ本能だから要求に従つて満足のために行動する事は人間に許された自由でなければならない。それが今の社会では「罪悪」といふ言葉で拒否され、私有によつて阻まれてゐる。あるものはただブルヂヨアの男女が金と閑にまかせてその自由を悪用してゐるのと、恋愛を何より有難がる文学青年や少女達がいろんな色どりをつけて世紀末的にやつてのけてゐるにすぎない。無産者は完全に食物と同じやうに、それ以上に恋愛の自由の影さへ掴むことが出来ないのだ。

 コムミニスト等の恋愛には一つの特質がある。それは彼女等は党或は組合の幹部と見られる指導者を崇拝し、恋愛して次ぎ々々と移つて行くのである。彼等の間には既成社会にあるのとは形の異つた英雄主義が君臨してゐる、女達はその支配と強制に圧伏されつつも(奴隷的に)崇拝してゐる、だから一たびその崇拝の対象が組合内部からうとんぜられるやうな事があると忽ちにして恋愛も熱度を失つて行く。かうした実例を私は見た。そルてルンペンプロレタリアは同じ戦列にある女達からさへも顧みられないでゐるのである。

 自由社会は、どんな人であつでも恋愛の機会を持ち性の要求を満たし得るものでなければならない。限りなき性の自由といへば母性の立場から猛烈に反駁する人もあらう。けれど恋愛はその瞬間にあつて必ずしも母性を前提として意識するものとは限らない。女性には生れながらにして生理的に多面的な性的行為を望まない、または拒む作用があり心理的にも異性を撰択する本能があるからこの自由のために不幸や無秩序を考へるは杞憂にすぎないと思ふ。

 とまれ、生活意識を個人的なものに閉じこめ闘争の心を回避させる外の何物でもない、私有慾に支配されてる現在の恋愛はやがてうち破られ、活々とした自由な友情にかがやく赤裸々となり真にプロレタリアの恋愛が私達によつて奪ひ返されなければならない。それは決して英雄主義的なまたは乾枯びた唯物的なものでなく、愛と自由との正しい道徳のもとに-

 そしてその素朴な幸福な恋愛生活は、来るべき自由聯合の社会に於てのみ、私達は求めることが出来ると信じてゐる。

■婦人の解放へ

【自由連合新聞33号・昭和4年3月-日発行】

 一般の婦人がさうであるやうに私達アナーキズムの婦人達も男子の人々にくらべてまだ意識のレベルが低く理解に欠けてゐるところが多いと思ふ。そして社会的圧迫と婦人としての封建的因襲による性の差別によつて二重の苦しみに苦しんでゐる現実であつて見れば、男子アナキストと協働する前に私達は教化を受ける必要もあると思ふし、婦人としての特別な問題について研究し相互扶助する一方、外に向つては同性に呼びかけるべき大きな任務が横たわつてゐる。だがアナキーズムの解放は全人類を目標とするものである限りことさらに性別を設けるの愚なことは解りきつた話で、あらゆる運動の内部に勇敢な協力者でありたい。かうした意味からいま熱心なアナキストの婦人達は一つの団体をもちたいといふ望みをもつてゐる。

 そこで、私達の団体は何処に理想の目標をおくのであらうか。いふまでもなくアナキズムが理想とするところの全人類の解放と、自由聯合社会の建設である。

 では行動の方向は?、あらゆる資本主義の組織と道徳とを否定し弾圧に抗争しつつ一方、改良主義者やマルキシスト等と徹底的に闘ひ彼等の欺瞞を民衆に暴露すること、当面の問題としては研究会をつづけて理論的に信念づけられることによつて最後の闘争に役立つべき婦人の闘士を造り出すことと一方農民や婦人労働者の中に入つてプロパガンダにつとめること。

 マルキシズムの婦人団体と行動においていかなる点がちがふか?

 政治的行動の絶対否定と、日常闘争といふやうな組合主義的、若しくはサンヂカリズムの自己陶酔的行動をとらずあくまで革命的であるべきこと。

 かう並べたてて見ると洵にややこしいやうだけれど、その実ボルシエヴイズムの婦人団体とは似ても似つかぬ親しみと自由さがある。箇条がきの規約もなければ宣言綱領などという莫迦らしい看板はあらう筈がない。どこまでも自発的な協力と自由聯合の精神によつて意志は胸から胸へ伝はつてゆく。中央執行委員長もなければ書記長もない。みんながみんな委員長であり書記長平会員であるのは何といふ気持のよいことだ。

 そこで私はいまマルキシズムの団体-主に無産政党やもとの新党準備会の婦人団体がとつてゐる活動を挙げて批判し、何故に私達の会が彼等と抗争しなければならないかを書いて見たいと思ふ。

 彼等は所属する党からすべて行動についての指導をうけ支配されるから、従つて親許の党に附き添つて或は合同し分裂してゐる。が共通したスローガンは日常闘争と政治的自由獲得である。旧無産大衆党所属の無産婦人聯盟と旧日労党に属する全国婦人同盟が昨年の秋、党が合同して日本大衆党といふ朦朧政党が生れた結果、この一月の半に合同して全国無産婦人聯盟といふ名前で発会式を挙げ、これまで喧嘩し合つてきた敵同志が握手した。ところがどうであらう。二十日を経ずして早くも日本大衆党の本体は暴露され分裂は時期の問題であると言はれるに至つた。さうなるとこの二つの婦人団体もまたどうなる蓮命やら一寸先はわからず、互に痛し痒しの状態にある。

 一方旧労農党に属する関東婦人同盟は昨年の春、活動がとかく少数部員に限られて発達上有害無益だといふ党の意見で解体し、党の支部の中に合入した。彼女達は党の運命と同じくさきに新党準備会といふ結社の解散を命ぜられてやむなく非合法主義をとらざるを得なくなつたにも拘らず、相変らず「政治的自由獲得労農同盟」の名のもとに根気よく政治的自由を叫んでゐる。といふ矛盾を暴露しつつある。何といふ嗤ふべき悲劇。

 私達アナキストの婦人達には分裂といふことがありやう筈はないまた何等指令や支配をうける道理もない。連絡はあつても指令はないのだ。そして強権であるところの一切の政治的行動を排する。

 ところで、、彼女等がいふ政治的要求(獲得ではない)とは何か?

 第一に婦人参政権、公民権結社権の要求、公娼廃止、坑内労働の禁止、同一賃金の要求、母子扶助法の制定、等、々、々、……

 上は有閑婦人から下はマルクスガールに至るまで猫も杓子もいま騒いでゐるのは婦選と公民権の要求である。無産政党の婦人等はブルヂヨア婦人団体を利用する下こころでもつて、そのくせ反対に彼女達の名と寛容ぶりを示す役目に立たされつつ、婦選獲得共同委員会を組織して共同戦線を張ることにしたのは昨年の春だが、もとより立場の違ふもの同志の歩調の合ふ道理はなく、事ごとに意見の衝突の末ブルヂヨア側は勝手に代議士を訪問して媚を売り、無産側は自党選出の代議士に果敢ない望みをかけて『吾々は無産階級的に獲得する』と悲鳴をあげてゐる。

 婦選どころか公民権すらもこの議会に通過の見込みが立たない折から、三月十六日には東京市議の選挙がある。またしても無産婦人の自称闘士等が有名無実の候補者のために壇上から千偏一律の悲しい叫びを挙げることと思はれる。彼等のいふ所によれば当落如何は問題ではなくそれによつて吾々は民衆に思想(全くの強権思想)を宣伝するのだと。だから候補者はどんな劣悪無能な人間でも数多く立たせるのだと公言してゐる。これはある婦人闘士のひとりが私に語つた言葉だ、しかしこの正直さうな話も或は彼等が持前の嘘で本当は死物狂いで当選をめがけ未来の無産議員の議会を夢見てゐるのだ、大衆こそ何という迷惑……

 それにしたところが、非合法主義をとるのやむなきに至つた旧労農党は今度の選挙にどんなスローガンをもつて民衆に非政党の綱領を示さうとするのか?ひところ彼等を風靡したブルヂヨアデモクラシー獲得のこゑはどこへ消え去つてしまつたのか?……

 先日ある会合での席上、日本大衆党所属の婦人委員のひとりが、新党準備会に属する婦人に向つて私はいま一ばん参政権がほしいといつた。一方の婦人は『私は参政権よりも先に結社権がほしいと思ひますわ』そしてふたりは参政権を、いいえ結社権の方が先ですと相譲らずいひ張つてゐた。いづれ劣らぬ愚な話しだ。骨まで『政治的要求』に蝕まれてゐるこれ等の婦人達は、折角非合法主義をとりながら革命への途を見誤つてゐる。あれだけの弾圧をうけながら反動勢力へ向つてひとりの抗争の実行者もない彼等ではないか。

 婦選も公民権も普選と同じく名ばかりの好餌によつて民衆を釣らうとする欺瞞でしかないことは解りきつてゐる。婦選が与へられたらその瞬間からすべての同性に幸福がやつてくるかのやうに叫んでゐる人々よ、法律と政治のない所にこそ婦人の絶対自由があるのだ。私達は一切の資本主義の歴史と絶縁して新しいアナキズムの社会を求めんとし、運動するものである。娼妓は籠の中から飛び出して青空の自由な空気に背を伸ばし、工場の門は開かれて若い娘さん達は嬉々として田園に帰り、貧しい寡婦も幼子もさつばりした住ま居の中で相擁する事が出来る。かうした限りなく楽しい社会がどうして法律や政治によつて実現され得やう。

 歩みはまず足許から……かうした私達はまづ自分達の生活をアナキストとして恥ないものと心がける。さうして全国の同志へ協力を乞ひたい。

 『あなた方の周囲の婦人に働きかけて下さいそして此運動を大きくする事に力を合せて下さい』と

■高群逸枝さんに

【黒色戦線・昭和4年4月号】

 いちども私はまだ高群さんに会つたことがない。氏は私にとつて全然未知の人である。その人に公の雑誌を通して話をして見たいと、何故そんな気になつたのであらうか、私は高群さんをいまのアナーキズムの思想運動内に於ける一番真摯な、篤学の唯一の同性だと思つて前から尊敬を払つてゐたからである。といつて、何も氏の纒つた著作を読んでゐるわけでもなく、高々『婦人公論』やその他の思想雑誌で時おり発表されるものを散見するばかりなので、それを通してだけでは勿論此の全部を想像する軽卒はゆるされないと思ふが、しかも、何かしらの力が、尊敬と親しみが私にかくも呼びかける気持を起させるのである。

 昨年しばらくの間『婦人公論』の誌上で氏と山川菊栄氏との間につづけられた論争は、多くの読者から熱意と興味をもつて迎へられたものであつた。山川氏が例のボル的筆鋒をもつてマルクスやレーニン受売りの恋愛から唯物史観の講釈、ボルシエヴイキ革命論を階段式に押し進めて行くに反し、氏は極めて遠慮深い、そして詩人的表現をもつて時には理論を前後に飛躍せしめながら或るときはそれが氏だけの解釈に終るといつた感を抱かせながら、悠々と応戦してゆく態度には、極めて自由な朗かな人間的な親しみと、同感が湧かざるを得なかつた私はあの論争を読みながら思つた。

 『それは要するに人間の差だ、性格の相違なのだ、山川氏の類型的な枯涸した常識と、高群氏の奔放なまた泌々とした限りなく拡つてゆく空想-畢竟常識を以てしたのでは詩の心境は解せられるものでない、愛と自由と個性の尊貴は彼等にとつては永久に窺ひ得ない世界だ、しかしこれはとりも直さずコンムュニストとアナキストとの間に横はる根本的な差異でどうすることも出来ない決定的な事実であらう。’奴隷根性に骨まで蝕まれた人間にアナキストの高い誇りがわかる筈はない』と。

 怠けものの不精な私は、そのほかの氏の書き物については一々記憶に残つてゐない、『女人芸術』一月号に発表された氏の長詩-恋愛行進曲-は胸を躍らせながら読んだものだつた。あの詩によつて私は高群氏にいよいよ『詩人』を見出し、地上をはるかに高い美とやさしさに打たれざるを得なかつたにも係らず、私は後半を読む根気がなくなつたと、いふよリバラ々々と散見しただけで止めてしまつたのは、どういふ訳だらう。

 これは私に、氏の作の中に溶けこんでゆく『詩』の素質が欠けてゐるせいだらうか、と自問して見た、しかし私はここでその理由を発見することが出来たのだつた。この詩はざっと拾ひよみしたところでは過去の恋愛の美しい回想と詠嘆があるばかりだ。冒頭に-私はこの詩で、恋愛を遊戯視する近代的青年に対する若き女性の悩みと心の動きを描かうがと試みたーと書いてあつたが、正直にいふと私には別にさうした深い悩みは汲みとり得なかつたといふ方が本当だらう。何故なら、この詩はあらゆる過去の詩に共通な詠嘆と呟き、こまかい女性の心の戦慄が現れてゐるだけで、氏の稀にみる詩人的性格におどろきを感じたほどには魂をうつ何物をも受けとれなかつたからである。近代の女性はもはや過去の恋愛の呟きはくり返してゐない。むしろ恋愛すらも詩的表現で表すべくあまりに傷けられ物質化された。恋愛の神経はもつと太い線に、そして感じる深さも歩みもともに慌しく暗く、一口にいへば生活的になつてゐるのだ、この詩から何かしら新らしき時代の恋愛についての暗示を得んとし解釈を求めやうとする人は失望するだけではあるまいか-さう思ひながら私は、氏の著しく古典的な、また現代人としては清純な姿を心に描いたのであつた。

 ところが、私は今度創刊された『黒色戦線』にある氏の創作『嵐の夜』を読んで、これまで心の隅に巣喰つてゐた氏への不満がはつきり形を整へて私の意識の上に泛び上つてきたのである。恋愛の解釈、女性主義の理解、さうしたものは個人的のもので凡ての人の異る受応の程度において為さるべきもの、否、恋愛の解釈が新しく置きかへられることによつて将来女性の解放に役立つ重要さは充分に認めるけれども、さうした『観念』は今日の社会全体を流れ動かす思想的動向と生活事実から見ればむしろ副次的な位置と解してよいものではないだらうか。分裂を重ねながらいよいよ尖端を鋭く光らせて、意識と運動の妥協なき闘争を進めつつある今日の思想の分野は、私たちの心にも絶対という色調をもつて鋭くその姿を眼の前に展げて見せてゐる。

 かうした視野の中に現れてくる氏の創作は、私の心にはなはだ生ぬるい臆病さをもつて映る。私はこの創作の芸術的価値-素材の取扱ひ方だとか表現の手法だとか、さうした技巧上の問題をいはうとするものではない。それよりもこの作を通じて感ぜられる氏のアナキストとしての観照の混濁と稀薄と思想的行動の意志の著しく逃避的な独善的な欠陥を指していひたいのである。

 この作の主人公は『私』であり全篇を通じて私の主観をもつて貫かれた作品であるからには、おそらく高群氏自身の生活及び観方であると解して差支へないのであろう。氏は自分の所へ訪ねて来る青年-闘ひの熱情と実行の抑へがたい意志をもつてる-に対して独白してゐる。

 -私は何といつて慰めてやらうかと思ひなやんだ。実行などといふものはおいそれとできるものでもなし、『実行のための実行』といふやうなものはあるよりは無いはうがよい-そして

 『ぢや一生何もせずにゐろつてんですか?』

 との問に対して、

 『さうです、もし時が来なければ』と答へてゐる。おどろくべき言葉ではないか。

 また氏は次にきた、より真剣な若い娘が-何かしたい、したいがそれは解らない、どうしていいかを教えてくれ、といふ問に答へるに、現在の無産者達がXXXの誤つた非革命的な役割を知りその正体の曝露されるのを見る時、その時こそ私達の時代なのだ、その時代はきつとくる、といふ言葉をもつてする。

 『その時代を待つてゐるなんて待遠しい、それまで黙つてゐなければなんて-』

 『少しも黙つてなんぞゐなくてもよい大衆が実行の問題として自覚するまでの間、私どもは彼等の意識を刺戟する役目をつとめてゐなければならない。たゆまず忍耐づよく、あらゆる場所、機会、そのいづれにも堪へず私どもの声をそこにたやさぬやうにすることだ。』高群氏はかういつてゐる。

 前の青年の実行といふ言葉と、娘の何かしたいといふ何とをどう氏が理解してゐるのかよくわからないが、高群氏は青年に対しては時が来なければ一生何もせずに待つてゐろといひ、娘に向つてはあらゆる場所と機会に私どもの声をたやすなといふ。その実行なるものの矛盾については何等の解釈を見出すことが出来ない。

 だが、その矛盾はどうであつても仕方がないとして、私はまづ氏が慰めてやらうかと思ひ悩んだといふ言葉、そして一生待つてゐろといつた、その氏の言葉を通して主観的にも客観的にも氏の認識の不足と革命意識を持つものとしての根本的な欠陥-卑怯と逃避と多少の優越感とを指摘せずにはゐられないのである。

 私もやがては来るべき大衆の正しき革命への自覚を信じてゐる。しかし、それは時を待つて来るべきものであらうか、今日のマルキスト等は相互の醜い分裂を曝露しつつもあらゆる機会を捉へてプロパガンダの努力をつづけてゐる。誤つた意識は民衆の間にいよいよその浸透を深めつつあるかのやうにそれはたしかに民衆をして無意識の間に正しき理論として深めつつあるやうにさえ見える。これを●●アナキストはその真理の高い嶺から傍観しつつ、自然の崩壊の時を待つてゐられるであらうか。私はおそるべき錯誤であると考へる。

 そして、氏が娘に与へた言葉、あらゆる場所と機会に声をたやさぬやうに-といつた、その事を、氏は現在みづから実行しておられるかどうか、私は氏が家にこもり著作に日を送りながら書斎にその生活を狭めつつ大衆の中に-といふより隣人の中に働きかけることを避けてゐる態度を指摘したい。その生活態度がもし氏の性格から来たものとすれば、これに革命を志す人としての氏に与へられたる根本的な、致命的な否定の宣告でなければならないと思ふのである。

 いかなる思想も行動も結局は性格であり生活の反映である。しかし性格は意識的に変化しゆくべき可能性があるしそこにまた私達の堪へざる希望と努力は根ざすものと考へられる。生活はまた思想と共に当然変化すべきもので思想の革命は極めて自然に生活にまで及ぼすべきが本当であらう。

 女性は真にアナキストたる事がいかに難いであらうか。理論は智識や生活によつて把握することが出来る、しかし人類の理想に対して燃ゆる熱望、鉄のごとき強靱な闘志、そして革命の実行-若し、女性がここにまで到達することが出来たとすれば、人類の歩みはへ-輝しく未来へ向つて行進の度を早めることになる。だが、あの帝政ロシアの恐怖時代に現はれた女性の数しれぬ犠牲、そして小さくはあるが大正7年の米騒動の発端を思ふとき、私は自分自身に理論よりむしろ実行だといひきかせるのである。

 高群氏よ、あなたはいつまで書斎にとぢこもつておられるのです。聡明なあなたはその視野を客観的にひろげてまづ一足出て下さい。私の難い実行の情熱はあなたの憫笑を●購ふかもしれないけれども、私はあなた方と手をつないで同志と共にしつかりと歩いて行きたい。(1929、2、5)

☆高群逸枝と八木秋子について、直接この文章に触れたものとしては、秋山清氏の『アナキズム文学史』(筑摩書房)と『高群逸枝論集』(JCA出版)の中で加納実紀代氏の「<神の子>逸枝の死と再生」がある。

■プロ文芸と将来への予想  佐上明子

【黒色戦線:昭和4年8月号】

 プロレタリア文学は将来社会において如何に発展してゆくか?

 この予想はしぜん、マルクス主義的文学とアナキズム文学の将来に区別する必要を生ぜしめる。

 マルクス派文学は、その政治経済組織と同じく将来においても中央集権の形式をとり、支配の方法に拠らしめる。何故であらうか?

 マルクス派文芸家によつて生れたプロレタリア文芸運動は彼等における階級闘争の政治的役割を担ふて、プロレタリア独裁社会への目的意識のもとに創始された運動である。従つて彼等が作品の批評の標準としてゐるのは社会的価値といふ広義な言葉のもとに、その実政治的価値でなければならない。芸術的価値はむしろ第二位に置かれるものである。

×

 マルクス派のプロ文芸は最初プロ階級出身の作家によつて生れ、インテリゲンチユア的作家等の理論闘争を経て、彼等が階級闘争部門の政治的一翼として初めて一つの文芸運動として社会的に進出したのであつた。ところが、政治そのものの本質がさうであるやうに、彼等の戦線内にも常に理論と勢力と利害と感情の葛藤が発生し、幾度かの分裂が行はれて今日見るごとき純左翼と左翼民主々義の対立となつて表はれ、互に一つのマルクス主義に依拠しながら絶対に相容れぬ存在として紛争を重ねつつある。

 彼等の文芸運動は果して彼等が誇るやうな今日の一般無産大衆に●齎らした影響の程度は大きかつたかそれは暫く疑問とするとしても文壇に与へた衝撃はたしかにこれを認めざるを得ない。彼等はいう。「既成文壇は今や崩壊しつつある」と。否、文壇はすでに崩壊し消滅したと彼等もまた文壇の消滅を意図しつつあるかに見える。併し文壇といふ特殊なグループと社会の一般無産大衆はおのずから別であらねばならない。

×

 そこで私達は、この現実をとほして彼等の目的とするプロレタリア独裁社会における文芸が如何なるものであるかを予想することは、興味ある事だ。●政治そのものに内包される党派別と対立と分裂はおのずから文芸の上にも君臨するであらう芸術といふ最も個人的創造力に●つものを運動の手段として幾つかの団体をもつて存在するとき、それは明かに排他的であり民衆のためのものたり得ない。プロレタリア独裁社会に文壇の消滅を想像することは錯誤である。どこまでも特殊者の優越的地位と勢力の支配でしかあり得ない事は自明の理であらうと思ふ。文壇及び文壇人の予想はそれであるとして、では文芸の内容はどうなるか?現在のロシアに見るやうに、革命後12年にして尚ほ階級意識とプロレタリアの勝利を強調するものであらうと思はれる。そしてまたプロレタリア独裁社会にあつては文芸もまた中央集権によつて支配され一つの範疇の中にその自由な発展を阻まれるべきものであることは、ルナチャルスキーの「文芸批評の任務に関するテーゼ」の例によつても明であらう。文芸がテーゼによつて批評価値を定められ「任務」によつて批評家や作家は動く。すベては命令であり強調であり画一であつてそこに限りなく伸長し行くべき創造の自由性を見出すことは出来ない。おそらくこれはプロレタリア独裁社会の存在する限り続くものと考へられるものである。

 次に彼等の目的とする将来社会がさうであるやうに、彼等の文芸の将来もまた都会文学であるだらう。都会集中主義はまた文芸にも影響しないではおかない。

 今日の既成文壇を見ると殆ど凡ての作家は昔日の自然主義的、浪漫主義的、若くは人道主義的作風に行き詰りを生じ、といふよりは社会現実から来る思想上の圧迫と懐疑のためにその大部分は生活上にも思想上にも虚無的傾向を帯びてゐると一つはジヤアナリズムの要求によつて極端に世期末的な怪奇的な感能と感覚を形式化した都会文学に走りつつある。これはまたひとつはインテリゲンチヤの読者群の生活事情の反映であつて、ジヤアナリズムの要求もそこから生れて来るものであらうけれど、兎に角都会文学は既成作家のみならず今日ではプロ作家をも動かして明るい軽いピクニツク的、一杯の珈琲ともいへるプロ作品がプロ文芸を風靡しつつあるが、それは同時に形式の著しい理智化を示すものに外ならない。

 プロレタリア文芸の大衆化-この声は相当高く叫ばれてゐるが併し、形式の理智化、都会化の傾向はますます文芸創作をして一部インテリゲンチユアの趣味若くは遊戯の対象たらしめんとしつつある現象を見る事が出来る。理智的都会文学は今や日に々々大衆と遊離したところの、狭義な●壇好としてさへ考へられる時代である。

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「近代生活」誌上に於いて新居格氏がいはれてゐるやうに、文芸は民衆から次第に興味を失はれつつある。その原因は前掲の理由よりももつと根本的な、民衆の今日の実生活は文芸作品の内容よりも遙かに進歩してゐることによるものであらう。マルクス派プロ作家が描く無産者の悲惨な生活は、実際に於いて作家の想像よりもより深刻に民衆は体験しつつあるのだ。まして作品の生硬な親しみ難い表現と、千偏一律なテーマの不自然さを以てしては如何にしても今日の民衆を創作によつて魅する事は出来ない。最近ことに著しい流行実話的読物の盛に迎へられる事実は、民衆が想像よりも実際の方に動かされ、間接の技巧よりも直接な具体的表現と事物に多く惹かされることを示唆するものに外ならない。

 過去幾世紀を支配して来たところの文芸の使命-人間性の探求と深刻な人性の暗示-さうした文芸の価値はいま徐々に置き変へられて、一つの趣味または興味の程度のものとなりつつあるのではあるまいか。仮にドストイエフスキーやトルストイの傑作を以て来たとしても、現代人を果して如何なる程度まで動かし得るか。ともう一つは、映画、劇、絵画、音楽などの直接表現が文学よりもより以上に現代人の感覚に親しみ易い。この事実はすべての文芸の前途にある暗示を与へるものではないだらうか。

 マルクス派作家等は日和見的なジヤアナリズムに甘えて、いとも観楽主義ではないのか。互の作品の批評、文芸に対する理論は活発に展開されてゐる。傑作は将来プロレタリア出の作家によつて生れるかもしれないが、彼等の意図する将来社会には文壇といふ特殊な集団は依然として存在し、排他と支配とが行はれ、画一主義による文芸の自由性は伸長を阻止されて、そこには形をかへたヒロイズムと卓越個人主義の存在するであらう事を忘れることは出来ない。

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 アナキズム文学はまだ確立されてゐないかに思はれる。一昨年春頃の論争から確立されたといへばいへるし、されてゐないといへばさうも思はれる。いふまでもなくアナキズムの文学は無政府共産主義、自由聯合の理論と精神の芸術的表現による生活意志であり同時に生活現象であらうと思ふ。アナキズム文学は目的意識の文学ではなく、目的以上の人間の意志の具象であつて、意志であると同時に美の形式でもあるだらう。あたかもアナキズムの社会が目的としての対象体でなく、人間に内在する生活本能の具象化であるやうに-。だからアナキズムの文学はその自由性に出発する行動論的にも形式の上にも何等規範と目的とを以て束縛され強請される筈はない、然し、だからといつて如何なる素材を如何なるテーマとして取扱つてもよいといふ論はなりたくない。

 アナキズム文芸作家は作家であると同時にアナキストであり、それによつて生れる作品は、当然生活と行動から創造される。作品の内容は生活から浮游した「観念」ではなくて一つの行動であるのは、アナキズムの理論と全く同じである。だからこの文学がその内容にアナキズム社会への理想、現実に対する批判の生れるべきことは、目的でなくして自然の所産であらう。作家が若しアナキストである以上、作品の内容形式には当然無政府共産社会への呼びかけがあり自由への要求、そして独創的美が現はれるものと考へられる。

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 では、アナキズムの将来社会に文芸はいかなる形をとつて進むか?これもまた社会生活と同じくあらゆる個人の解放に伴つて、文芸の創造力は無限に拡がつてゆく。この結果、文芸は観念形式から或は芸術的作品の地位から脱して、万人の生活そのものの内容にまで融合して来はしないか。誰でもが自由に創作し自由に発表出来ることによつて文芸は他の芸術と同じく、あらゆる民衆の生活そのものとなつて特殊の創造でなくなり、恰度今日の新聞が民衆の生活になくてならぬ糧であるやうに浸潤性と普偏性を持つことになりはしないだらうか。従つて文芸団体だとか文壇とかは必然に消滅して存在の意義を失つてしまふものと思はれる。そして、文芸の内容も「ねばならぬ」といふ目的でなくあるがままの生活の表現美と愛の限りなき飛翅であらう。

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 文芸はいま特殊な地位から引き下されて、一部読者群の趣味となるか、一方にはより興味的な大衆文学の形式を保ちつつ革命の日にまでつづくであらう。実生活よりはるかにおくれその深刻な意義を失ひつつある文芸、そしてまた作家が経済的にも大作をなし得ず、また純作家的生活を軽蔑する民衆にとつて現在の紅茶的淡白さは、ますます大衆との距離を作らしめる事は致方がない。作家も原稿を書きパンに代へる必要がある以上、不満を忍んでも創作して売らなければならないのもやむを得ない。ただ、私達は今日の文芸創作を闘争の手段として価値の重要性を認めず、むしろまづ一人のアナキストたらん事を心掛けたい。文芸は何といつても人間の要求する美と自由への憧憬である。そしてこの要求はアナキズム社会に於てのみ万人に満たし得るものと信ずる。

■奪還せよ

【黒色戦線・昭和7年4月号】  佐伯明子

 われわれのこの生きたいといふ切実な欲求は、単に死にたくないといふ消極的な願望からではない。どうしても生きたい、生きねばならぬといふ必死の、生命の意識的要求であつり、外界の自然及び生活に対する抗議である。吾々は飢餓と寒さのために日々生命を脅かされ、屈辱、忍苦、悲惨の境遇をとほして自分たちが資本主義社会制度の犠牲者であることをみづから覚らしめられた。人間としての当然の要求である生存の自由が、吾々には故なく拒否され、要求することがすでに阻まれてゐる。しかし吾々はひとたび社会意識に目ざめた人間である。すべての社会悪の因つて来たる原因が何処にあるか、如何なる社会に理想を求むべきかを知つた。吾々にとつて今日の生活はもはや耐えられぬものである。一日も早く解放されたい、させねばならぬといふ意慾はもはや決定的のものだ、そして唯一の解放の道、アナキスト×命を実現させんがために、自分の全生活を投じ全努力をつくしてみづからの立場から、この強大な現制度組織と勢力に闘ひを誓つて起つたのだ、吾々の生きたいという熾烈な欲求は、生命の保存、生の憧憬を超えた闘ひへの決意であり、革命に対する×望である。

 とまれ、吾々が生物として生きる以上生に対する強き執着は本能である。この生存本能こそは殊に人間のもつ最も原始的な、最も根本的なものでなければならない、自己保存と種族保存の二大本能、いひかへれば自己保存のための食欲と、種族保存のための生殖とは生命の根本的直接的要求なのだ、この切実な要求を除いて吾々は自己を考へ、社会を考へることは出来ない。●況して人類の形成組織する社会改造の事業をうち樹てることはゆるされない。

 無政府共産主義はこの人類の二大要求を基礎として立つ実践的な革×原理である。働いても働いても食へない、食ふ為に働きたくても職がない、まして食ふや食はずの貧乏人には、恋愛の自由も結婚の自由もないのだ。数十万、数百万の人間がただ食はんがため奴隷の境遇を強ひられ、青春を空しく地に埋れて死んでゆく、これ以上の生命の浪費これ以上悲しむべき背理があらうか、吾々の意欲は真先に生存の自由と人間性の奪還にあるのだ、現社会のあらゆる制度組織、因習や伝統や常識によつて歪められ旋じ曲げられてゐる本然の人間性を取りかへさねばならぬ、現在の資本主義制度組織を強く××せよ。それの一切は何一つわれわれのために、民衆の幸福と、利益のために作られてゐないのだ。人間のあらゆる自由が全く拒否されてゐることにあるのだ、そしてこの生存の自由の奪還、人間性の奪還こそは吾々の必然の闘ひである、無政府共産主義はこの最も自然の要求に出発し収用の敢行によつて社会××へ邁進し成×せしめんとする、唯一の××への道であり解放の理想であるのだ。

 吾々はこの決定的な飢餓の脅迫の底から、すべて圧迫され虐げられつつある全民衆の解放が、無政府主義××によらずしては断じて実現し得られないといふ確信を握つた。そしてこれまで空想主義といはれ逆宣伝によつて歪曲されて来たアナーキズムの社会理想こそ人間生活の事実であり、実現の可能を信じ得るものだ、否、如何なる困難を粉砕しても可能ならしめねばならぬとの信念と決意をもち得たのである。吾々の生命はここに新生し、生きる希望と悦びをもつて全生活の躍動を感じる。吾々はひとたびブルヂヨア支配階級に対して闘ひを誓つた。そして日々に加はる暴×と飢餓の脅迫は、吾々自身に××に対する決定的な憎悪と叛逆と、復讐の押へがたい感情を燃さしめ、一路戦ひへと馳りたてる。等吾々は緊張した生活の中に、生の充実を感じ、全国同志との堅き結合のもとに困難を無視して前進しつつあるのだ。

 婦人よ自主にめざめて起て

 吾々はまづ人間であるとともに無政府主義××を完成することによつて解放されんと熱望するアナーキストである。自由への道、×命の大事業のまへには完全に男と女との性の区別はない、一つの固き結合体である。女性が過去現在に亘つて虐げられてきた原因を男性の権力にょる束縛とのみ解釈したのは古き誤謬である。支配と搾取にょつてこれほどの悲惨と不合理に突き落されてゐるのは、決して女性のみではない、凡ゆる無産民衆の現実なのだ、この全被圧迫民衆の敵はもはや明かである。吾々はいまこそ共同の×、ブルヂヨア地主支配階級のあらゆる勢力とその機構に向つて闘ひを開始しなければならぬ、同時に、無政府主義××の目的はただに男や女や、労働者、農民などの性別的階級的解放ではない。全民衆の完全なる解放にあるのだ、この故に吾々女性は男性と堅く団結して共同の敵と戦はねばならぬ責任がある。徒らに家庭の中にひき籠り、平和な生活を楽しみ或は闘争を回避してゐる秋ではないのだ、また女性がよし職業をもつて生活の安定を得たとしても、そこに安住して僅かばかり得た自由の依然として発展なき生活に低迷してゐることは卑怯である、男性の寄生者として結婚生活のなかに逃避の道を求め家庭奴隷たらんことを希望するものは別だ、少くとも自分の生命を、全生活を何かの意義あるものに投じて生き抜きたい、生甲斐あらしめたいと欲求するほどの意力ある婦人ならば、当然その関心は社会組織の現実解剖と進んでは××運動への積極的参加にまで達するのが当然である。真に生甲斐ある生活は、生の充実は×逆の中にこそある。それの実践行動の中にこそ発見されるのだ。

 闘ひは苦難の生活であり荊棘の道である、生命を賭しての闘ひである、ことにその思想が民衆の生活の欲求と密接に結びつき、理想がたやすく理解し得る無政府主義の運動が支配階級にとつては最も怖るべく憎むべきものであることは当然だ、この弾圧のためには彼等はあらゆる微細な動きも呵責しやうとしない、だから言論の×迫、行動の×迫はしぜん無政府主義の運動を地下に追ひ、潜行的ならしめ、困難は言語に絶する。このヂヤーナリズムの波に乗らず社会の表面に踊らない無政府主義の思想を理解し一身を投じて思動に参加し来れる同性に対しては、吾々は熱き友愛の心を禁じ得ない、それは選ばれたる女性、真に解放を求めて、苦難と闘ふ決意ある人だからだ。

 吾々はあくまで自分の心に忠実でありたい、とともに決意の前には断乎として勇敢であらねばならぬ、愛なき結婚生活に悶へつつ強いて諦めの中にねむらんとする人、不合理な奴隷の生活に敢へて反抗する勇気のない女性、それ等の人々に向つて吾々は叫ぶ諦めを棄てよ、起つて叛逆し闘へ!と。

 解放戦における婦人の任務

 吾々は生きてゐる平凡な民衆のひとりだ、食べなければ生きられないし性の欲求も持つてゐる。食ふものも満足に食へないし、性の満足は拒まれて暗憺たる歪んだ生活の中に置かれてゐる。と共に多くの若い男性が矢張り性の要求を満たし得ずに悲惨と不自然な生活を送りつつある事実を見るのは、吾々にとつても苦しみであり、憤満である。なぜかうした自然への背理をゆるして置かれやうか、今の社会では恋愛も性慾も経済的圧迫によつて自由を拒まれ、また在来の家族制度や因習や個人主義思想がそれを拒んでゐるのだ。吾々は恋を求め愛に生きる女性である。食慾や性慾を恥とする因習道徳に反抗してあくまでその当然の欲求によつて行動する、世の多くの人々が如何に恋愛のために悩み精力を浪費しつつあるか、また世の母親が子供の餓えと寒さのためにどれだけ悲しんでゐるか、その悲しみの故にこそ戦はねばならない。

 革命への闘ひは吾々の全生活である、闘ひは吾々の「女性」を吾々自身犠牲にするやうな矛盾あるものではなく、却つてその力となる。革命運動は決して生活を離れ、生活に区分した機械的のものではないからだ、ただ生きるための生活が主か、運動が主かといへば吾々の意欲は当然後者をとらなければならない、今日の闘ひは生活の犠牲を忍んでも積極的に押し進めなければならないからである。そして吾々は男性とともに同じ理想の情熱に燃えつつ協力して闘ひの中を行くよろこびは深い。男性もまた吾々によつてどれだけの力と鼓舞を得られるであらうか、今日の戦線内に女姓は比較的少数である。女性の同志がみづからめざめて戦線に参加し、各地で活動を始めることは吾々の運動がより積極化し進展することであるとともに、それだけ解放の日が近づくことだ、吾々は同性の諸姉に手をさしのべて切望してやまない。

 吾々の闘ひの組織や形態は無政府主義の理想と同じく自由である。中央の命令によらず支配によらず各同志は各地にあつて結盟の同志と相協力して自主的行動を積極的に進めつつある。必要に応じて集まり一つの行動の終結とともに各々また村落へ町へ分散してそこでまた周囲へ向つて新らしき活動を開始する、そしてまた必要の際は直に集合して一つの仕事にとりかかる、その間の同志間の連絡は緊密に行はれ、全郡へ全県への革命的連絡と結合は積極的に進められつつあるのだ。この地下的潜行的運動には女性としての役割は実に大きい。ビラ、ボスタ-、パンフなどの出版物を持ちこんで或は周囲の人々に、或は工場に働きかけ、あるいは絶対秘密を要する××的行動の中にはゐつて重要な役割を果すなど、それから活動的な父兄や愛人のために片腕となって或は励まし或は慰めつつ運動を前進させまたは経済的に運動をたすけたり弾圧の犠牲となつた同志のために奔走してゐるなど、数へあげればその役割は限りがない。解放の意欲に燃える女性よ、起つて吾々の戦線に投ぜられよ、吾々はかたき友愛と握手をもつてあなた方を迎へる。如何なる困難をもうち破つて解放戦の前進のためにガツシリと腕を組まうではないか。

 吾々はすでに忍耐を学び得た、権力に対する恐怖を克服し得た確信がある、鉄のごとく冷たい理智の判断と、俊敏な行動をも経験によつてみづから体得したのである。吾々はしばしば失敗と蹉鉄にょつて教へられ、その苦き経験により前進への拍車となつた、このことは吾々のよろこびである。常に危険にさらされ、幾度かの暴×は吾々の意志を日に日に堅くする、ひたすらに運動の進展を思ひ、憂へ、憤り、よろこび、そしてただアナキスト××の実現のために努力し生きる吾々である。

 婦人の解放はアナーキスト×命によつて実現する

 解放の日よ、一日も早かれ!

 吾々の自由はそこにある。全民衆の自由はその日にあるのだ。自由とは人間らしく生き自分らしく生きる平和と安心の世界である。

 強制なく支配なき万人の自主的労働によつて為される。建設の事業は限りなき豊富さをもつて社会生活をわれわれ民衆のために満たし発展させるであらう、そしてこの偉大なる理想は決して空に描く想像ではなくて人間生活の本然の姿なのだ、民衆にアナーキズムの思想が拡充され、アナキスト革命の完成される日に実現する最も近き吾々の生活なのである。

 吾々はこの理想に進むための過いを必要とする思想に誤まられてはならぬ、マルキシズムはプロレタリア独裁社会を中間的過程として規定してゐるが、これは即ち政治的には最も強権独裁、経済組織は資本主義のそれを最高度にまで発展させた形態なのだ、これが発展推移して無支配無搾取の自由社会に達すると想像するのは嗤ふべき迷妄でしかない、しかも「社会は人間の好むと好まざるに係らず」流動してゆく、との理論からいへば、過程説自身、すでに根本的破綻をバクロしてゐるのだ。労働者農民がボルシヱヴヰキ革命によつて直に無支配の理想社会が来るもののやうに思ひ憧憬するのは大きな誤りである。プロレタリア独裁はただ労働者農民に対する強力な搾取と圧迫によつてのみ強行されるものであることを明確に理解しなければならない、ひとたび革命がプロレタリア独裁権力の手に奪取されたとしたら、民衆の解放は次の革命までは絶対に実現するものではないことをさとつてほしい。解放は徹底的××と無政府コムミユンの社会建設によらなければ絶対に実現するものではない、ただ直進の路である。そして中間的過程を絶対に排する解放への直進こそ実現の可能を約束するものだ。

 吾々女性のもつ理想もまた社会理想に伴つて進展し実現する、吾々の目的は労働賃金の値上げや男女同一賃金の制定にあるのではない、婦人参政権を得て支配者を選ぶ自由を与へられることではない、アパートが建設され共同炊事場や託児所が殖え、婦人のための娯楽機関が増すことでもない、ましてロシアのやうに婦人裁判官が出現したり婦入の軍隊、婦人の飛行将校が飛び出したりするこどでは断じてない、民衆への×取の強行と強制労働の上に成りたつ政府の予算で少しばかりの社会施設が何であらう、吾々のもとめるものは権利ではない、法律でゆるされた天下り式のお情的特権でもない。まして×隊や×察や監×によつて秩序を維持する強×社会ではないのだ、権力なく支配なき相互扶助と自由連帯の、共産社会である、法×は私×財×の擁護と××の××維持のために作られてあるものだ、私×財×制なきところ、×力による搾×なきところに何の混乱があり得やう、支×搾×もなく、貨×も存在せず、生産も消費もすべて人間の欲求を基準として為され、人間の幸福と利益のために為される、そこに民衆自身の協力による自然の秩序ははじめて生れるのだ、このことは極めて単純に理解され得ることでありながら、吾々の既成観念によつて毒された先人の常識が、これを空想とし、夢と誤解させるのである。

 吾々には自由を、社会生活を形づくる個人の生活及び意志の調和として把握する。自由とは自然の生活であり調和ある意志の行動の綜和である、吾々女性の理想もまた各人が好む道へ向つて社会人としての生命の自由な発展伸長である。優れた才能をもつ人はその道の研究に、制作に向ふであらう、子供の愛に喜びを感ずる母は安んじて子供を養育する。男子との協力による生産労働も自由だ、生きる為めの苦労の除かれた生活の保証ある社会にあつては労働は人間の喜びである。生存の自由と恋愛の自由とを確保された社会において、初めて女性は女性としての生活に帰へることが出来る。食物を拒むもののないやうに、どこに恋愛を拒む理由があらうか、恋愛も母性愛も吾々のものだ更に生きる自由は吾々のものだ、同性の友よ、今こそ大胆に奪還への闘ひに進まうではないか。時日は切迫している。(了)

■編集後記

 今号は佐上(伯)明子の筆名の全文を掲載した。おそらく他には残っていないと思う。そして八木さんの精神の営みに重なつたとき迷わず特集した。今年も暑い、が、皆さんの卒直な澄手紙が現在の八木さんにとってどれほど励ましになることか。感謝と共に要望。

会計報告(1979年6月1日~7月31日)

収入

定期購読料 59250円

賛助金    31500円

支出

印刷費    31950円       

発送費    14720円

雑費      4000円

(交通費・複写代)5480円

東京都小平市花小金井南3-929  相京範昭

■あるはなく読者の方へ

      御購読継続に関してのお願い

前略

 八木秋子の個人通信「あるはなく」の御購読ありがとうございました。通信発行に協力して二年間、ともすれば、現在の社会の夜昼間断なく押し寄せてくる誘惑に、爪先だっていきりたったり、沈んだりする私が、10号までまがりながらも協力し発行できたのは、いうまでもなく、皆さんのお陰だと感謝しております。

 発行に関して、特に著作集は私達が制作し完成した本を出版社に持ち込む例としては珍しく沢山の人々に読んで頂くことが出来ました。著作集Iは1年ちょっとで8割、著作集IIは6割が手元から離れております。しかし、その再版は全く考えておりません。また、通信「あるはなく」は著作集のためのものでもありません。つまり通信に掲載されたものを著作集に収録するつもりも全くありません。そこを誤解されぬよう一言申し添えます。

 さて、私がこの通信に協力する契機となったのは八木さんの老人ホーム入りであったことは前にも申しあげた通りであります。すなはち『書くことに生きることを凝縮させる八木秋子に執筆の発表の場を作る』といった意味では『やってやりますよ』といった協力の立場であります。個人通信であることの意味はそこにあると思います。そこが出発である以上崩してはならぬ一線だと思ってまいりました。

 しかし、同時に84歳の八木あきさんと私との個人的関係の中から産まれたものであることも動かしがたい事実であります。それゆえ八木あきさんについて語ることも時には必要なことだと思い貴重な紙面を使いました。書くということと全く無縁な所にいた私が勢いにまかせて綴ってしまったという方が確かかも知れません。

 それは同時に私自身が八木さんに出合って直感した、その精神の深さ、広さ、そして思考の形を通信媒介にして確かめてゆきたい、それは私が私自身の感性を確かめてゆきたいということでもあります。しかし、その作業は私自身がすることであり、通信は皆さん御自身の八木像を作って頂くための素材であります。

 八木秋子のアンソロイジーなど現在必要とする時ではありません。モザイク状の沢山の八木像がスケールの大きい、広さ、深さを兼ねそなえた大きな八木像を作るに違いありません。女であり、高齢であり、思想家であり、文章家である八木さんはそれに堪え得るひとだと思っております。

 話が思わぬ処にきてしまいました。私が皆さんにお手紙を差し上げたのは「あるはなく」の購読料の件についてです。通信は八木さんの年齢を踏まえて5号分ずつの購読料を頂戴しております。即ち10号で清算して11号より15号までの購読料のお振込みをお願いしたいわけですが、第11号発行にあたり再度ご連絡申しあげる次第です。

 尚、事務に関しては万全を期しているつもりですが、当方のミスもあるかも知れません。その時は御一報頂ければ幸いです。

草々

79.8.22

「あるはなく」編集人

相京範昭