八木秋子に初めて出会った1975年の日記メモは「ベトコンノート」と名付けた大学ノートでした。ノートの最初のページに一枚の写真が貼ってあります。それは新聞からの切り抜きですが、地面に座らせられた独りのベトコン(ベトナムでの米軍に抵抗したゲリラ)が、両手を捕縛されながらも眼光鋭く、獲物を狙う鷹のように戦う意思を明らかにしていました。彼の意思にその当時のわたしは共鳴したのだと思います。
その次のページには「心構え」のようなメモがずらっと書かれていました。後にも先にもこのようなメモをわたしは書いていないので、よほどこの写真に思うことがあったと思います。
●素直
各自の独立性を認める。
常に情熱的であるべき。
全て体当たりの精神。
客観性(自分がその立場なら)を重視。
どういう関係がより良いのか、常にロマン的であること。理想。
既成の価値概念をまず否定するところから出発する。全て進歩、観念に二律背反-パラドックスのあることを認める。それは全体的<理想>と具体的<現実>との闘いである。
全てのことに通じていえるのは、パターン化したものは腐敗するということである。
やる前に予測し、目標を立てることほどナンセンスなものはない。やっていく中で直感的にその限界と目標を突き止めよ。
一芸に秀でなければ何をやっても駄目だ。直観は、瞬間瞬間、創造される。学習と経験の積み重ね。
人生あざなえる縄の如し
人がタブーとするものにこそ、必ず何かがある。
第六感とは五感の次ではなく、五感の積み重ねた上に存在する。
独り善がりにならず、質問すること。
過去の因習を断ち切り、一つひとつ新たな気持ちで対処する。
独立独歩。
30年後のいま読むと、生硬なものもあるし、思い当たることもあります。いや、現在の私自身そうありたいと思うことが多く、その通りだなぁとの感慨が湧き上がってきます。忘れかけていたものもあります。一番つよく感じるのは、社長の白井新平氏の直感力・実践力からの影響で、勤めてから1年あまりで得たものをまとめたようにも思えます。このような精神状況の中で1975年が始まり、その9月に八木秋子に初めて出会ったということになります。
第5夜ではその白井社長に帯同して偶然八木秋子にあったことを書きました。第6夜ではそのころ森崎和江の影響を受けて「他者<女や子ども>との関わり」を考えていたので、八木秋子と会う必然的理由があったと続けました。
次回の第8夜からは数夜にわたり、1975年・1976年の日記的メモを総ざらいにしようと思います。八木秋子のアパートを訪ねる一方で長女李枝が誕生する、この2点を中心に整理してみました。若い気負いの言葉も散見しますが、八木秋子と李枝を対として眺めるには必要なことなので、どうぞ、さらっと読み流してください。
八木秋子は1976年の12月に老人ホームへ入り、翌1977年1月30日に脱走し、そのことが契機となって個人通信「あるはなく」が7月に発行されたことについては第3夜に書きました。
では。