みなさんに御連絡いたします。ようやく、本当にようやく著作集Ⅲ『異境への往還から』が完成しました。具体的に編集にとり組んだのが昨年『あるはなく』第15号を発行してからですから、およそ約10ヶ月かかりました。今出来あがった本を目の前にしてそれなりの結果に満足しております。
手元に残された日記を清書するのに思わぬ時間を喰ってしまい、つい弱音を吐いて昨年8月8日付の『読者の皆さんへ』において御協力を訴えてしまいました。そして何人かの方が御連絡して下さいました。しかし、僕は郵送してから大変反省しました。思ったとおり、協力の申し出をして下さった方々はそれぞれ仕事を持ち、育児の最中であり、年輩の方でありました。僕は恥かしくなり、あわててお断わりのご連絡をしました。僕自身が一番拒否していたはずの<世の中で一番自分が「つらさ」を背負っている>かのような言い方をしてしまったのでした。埴谷雄高さんが第Ⅱ集の帯文に書いて下さったように「困難こそ自立の場にほかならない」ことをまさに僕自身が踏まえなければならなかったのに、しかも本当に<困難>に値するかどうかと思うその程度の作業で人に頼ったことを反省しました。気負いもあったと思います。
友人の直言もあって、僕は僕のペースで僕なりの力で原稿用紙に書き移し、殖字をして下さった石井郁子さんと連絡をとりながら進めました。また著作目録は高校以来の友人である割田恒志君がやってくれました。彼は現在ふるさとの群馬でコンニャクを作ってます。そして、地元の花小金井で書店に勤めていた田谷さんを中心にして集った「はなこがねい映画愛好会」、これには八木さんを2回ほど招待することができましたが、その一員でもある寺木紹子さんや同郷の友人冨沢透君に校正を手伝ってもらいました。このように僕の周囲の友人たちの具体的な協力のもとでとうとう完成したわけです。
僕がこの本の内容を話す前に、こうした過程の話をしたかったのは、物を創り出す過程で表面に出ない人達が沢山いるということをありきたりの言い方でいうのではなく、八木さんとの出会いからこの著作集の完結した今日まで八木さんを混乱させないために、グループを作らず八木さんのことは僕だけを窓口として進めたことを充分に認めたうえで、一人一人の係われる所で協力して下さったことに感謝したいからです。そして、協力を申し出て頂いた方々や、弱音を吐いたとき無言で叱責して下さった読者の人たちに僕は感謝したいのです。
僕<ら>がやれることはこの程度なんだ、ということを特別へりくだっていうのではなくて、力不足の点も自負する点も率直に認めたうえで他者との関係を考えていきたいと思い、それが表題の『異境への往還から』につながることだと思っているからです。
僕は本を作るにあたって今回も心ゆくまで作らせていただきました。北斎のカパーの絵、表紙の絵は僕が八木さんに感じた精神と生命を表現していると思います。また日記は八木さんがたんに露わになっているということだけでなく、僕らが思想を語る時一番踏まえることを具体的に八木さんは母子寮の寮母を勤める日々の中で僕らに伝えて下さったと思います。
僕は八木さんに著作集の話しをもちかけたとき、この日記だけはぜひ沢山の人に読んで頂きたいので活字にしたいことを話しました。そこに八木さんの魅力のすべてがあるといってもいいすぎではないと思います。もう書き切れませんのでいずれ『あるはなく」で発行に際しての様々な見えない糸の存在についてはご報告したいと思います。
皆さんに改めてお願いしたいことが二点あります。一つは言うまでもなく八木秋子著作集Ⅲ『異境への往還から』をご購読して頂きたいということです。一つ一つの説明も具体的な内容もあえていたしません、傲慢かも知れませんがどうか書籍小包の箱を開ける時を楽しみにとっておいて下さい。思い入れたっぷり作らせてもらった本です。
次に『あるはなく』の20号までのことについてです。著作集に全力を注いだので発行はのびのびになってしまいました。ということは出発した時からの確認点ですが、八木さんの肉声を伝えること(現在の)ができなくなった時この通信は当然ストップします。そこでじっと八木さんの回復を待ちました。勿論八木さんは現在もお元気です、しかし言葉を活字にただ残すこと、しかも購読料を頂いて読んで貰うことには甘えは許されないと思います。これは僕が言うべきことではないかも知れませんが、やはり関係性に甘えてしまってはいけないと思います。
その判断は僕の独断で決められるはずですし、そのために一人で八木さんに対面してきたわけですから、僕は『あるはなく』の休刊を提案します。そして休刊号として2回にわたって4号分の発行を行いたいと思います。『休刊第1号』は転生記の残りと八木さんのいくつかの原稿、書簡を中心にまとめたいと思います。「休刊第2号』は読者の方々の(僕もその一人として)八木さんへのお手紙、或いは僕への手紙を中心に、八木さんの世界との往還を試みたいと思います。そして八木さんの奇蹟を待って1号分は残したいと考えております。八木さんの生きる存在自体が僕<ら>にとって表現されたものとして感知されるという点では『あるはなく』の終刊号は決してあり得ないと思うわけです。そして僕は当然のことながら八木さんの復活のために準備を怠たることなく八木さんとおつきあいを続けて行きたいと思います。最初に還るということです。
以上が僕からの『あるはなく』に関しての提案ですが、購読料を頂いた方で、八木さんの現在の声が聞えないなら『あるはなく』ではない(僕も正論だと思います)とおっしゃる方はその旨意志表示をして下さい。予約されている方(5号分750円領収)は予約済の字に○印をつけます。そして予約を取り消される場合は切手にてお返しします。また予約を取り消し本のみ注文の場合は、2000円から750円をひいた金額1250円を払い込んて下さい。そして振替用紙の通信欄に著作集の冊数などの明細を書いて頂きたいと思います。本の代金は一冊2000円で送料はこちらで負担いたします。どうかよろしくお願い申しあげます。
1981年5月11日
『あるはなく」編集人
相京範昭
八木秋子著作集 Ⅲ「異境への往還から」 目次
Ⅰ
永島暢子さんの憶い出 7
満州引揚げ記(メモ風) 23
Ⅱ
私は生きたい 33
火は消えない 42
誰れも知らない-母子寮の記録から- 62
Ⅲ 92
母子更生協会をはじめて/言葉のむなしさを思う/ラジオもまた愉し/土曜会の美しい救援/新聞代値上げ問題について/江戸川台に越しての御連絡/澄水園を退寮して/定時制高校生はいずこへ/木曽の谷間から/満州最後の日(一)~(四)/母子寮の想い出
Ⅳ 日記(1959年~1961年) 153