◆御嶽海の故郷、「木曾上松」と相撲界とのつながり
今回八木秋子との関わりがある人たち:玄條網の一人として取り上げることになった上松の小倉正明さんと相撲とのつながりはといいますと、
御獄海の故郷、木曽谷では古くから相撲の巡業が行われていました。16歳の時にも巡業があり、病気のお父さんに代わって勧進元の一人として父の名代をつとめたといいます。
★戦前、昭和初めの木曽地方 木曾谷大相撲勧進元の人たち
その小倉さんが、樹齢530年の天然木曽ヒノキの株元(根の部分)で作った「ついたて」を
新国技館に寄贈するという朝日新聞記事(木曽福島駐在、平田英之助)があります。
1984年12月7日のものです。
これは八木あきの個人通信「あるはなく」の読者だった、地元の渡辺映子さんから送られてきました。
記事には、そのついたてを贈る契機となった片男波親方(玉乃海)と、木曽郡上松町駅前の小倉正明さんとの親交が書かれてあり、八木秋子の名前もそこに出てきたのです。
満州で二人は陸軍の同年兵であったが、終戦間際、脱走し、豆腐屋を共同経営していたが、すさんだ生活をやったため中国官憲に捕まり、死刑寸前になった所を木曽節を歌ったことで八木秋子に救い出された、というのです。
後で聞きますと、記事を書いた記者、平田さんは八木さんと親戚筋にあたり、小倉さんの奥さんとはかつて同じ職場で働いていたということでしたが、たまたま小倉さんへの別の取材でインタビューをしているうちに、二人が旧知の仲だということがわかり、また、そこに八木秋子の名前が出て、小倉さんは満州での八木との遭遇に触れたというわけです。
私は新聞に書かれてあった「上松町駅前」を頼りに「木曽郡上松町駅前小倉正明さま」あてに手紙を出しました。
しかし返事はありませんでした。そのまま数年経ったある日、突然小倉さんから「会いたい、来てくれないか」との電話がありました。
私は木曽、上松に向かいました。