小倉正明(おぐら まさあき)(5)

荒法師、玉乃海

玉乃海のことは小倉さんに出会う前から気にかけていた人物でした。

ですから彼の「相撲道50周年」の記事も切り抜いていました。

 ところが、その日からわずか21日後の1987年9月27日、訃報が届きました。

★報道記事

東京新聞1987/9/28 、毎日新聞1987/10/1

◆葬儀

★挨拶する、栃錦、大鵬、若乃花

小倉正明

いずれも小倉さん所蔵

玉乃海は、初めて開催された第1回九州場所(1957)で金色(こんじき)の締め込みで登場し、前頭14枚目で全勝優勝したことは、私は当時8歳でしたがよく記憶しています。

ラジオからは大歓声が聞こえてきて、ファンだった奄美出身の朝潮と同じ九州の大分ですし、二人とも豪快な相撲を取るので、好きでした。

「玄海の荒法師」という言葉から見たこともない「玄界灘の荒海」を思ったものです。

★「怒濤の人生-昭和の力士 片男波嶽太郎親方の歩んだ道」より

★カップ授与  黄金のまわし

すでにこれまでの記事等で書かれていることですが、玉乃海は幕下に上がった1941年、「魔都 霧の上海」での巡業中に憲兵を殴ってしまいました。結果、相撲界破門。徴用されたあとは見せしめのように危険な地域に送られました。南方ガダルカナル島へ。そこで奇跡の生還。

そして今度は大陸、満州へ。

そこでも九死に一生を得て(敗戦時の小倉さんとの出会いがそこにあり)引き揚げました。その5年後、師匠玉ノ海の口利きで1950年(昭和25)に幕下付け出しから相撲界に復帰しました。

幕下、十両7場所、入幕後も5場所勝ち越して関脇に。2場所連続の11勝をあげ大関を目前にしたところで戦争中のマラリアが再発して休場。幕尻まで落ち、引退を覚悟した時に初めて九州場所が実施されるとなり、文字通り故郷での最後のはなむけとなろうとして金色のまわしで土俵に上がったのでした。

そして見事な全勝優勝。まさに波瀾万丈の人生です。

こうして玉乃海を私はずっと気にしてきました。

しかし、その玉乃海と小倉さんが戦友だったというのです。驚きました。

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