★女性のアナ・ボル論争
-『女人芸術』誌上で藤森成吉に公開状-近代日本における女性アナーキスト5人をあげるとなれば、明治に管野すががあり、大正には伊藤野枝、金子文子があった。昭和になって光るのは高群逸枝、そして5番めに私は八木秋子をあげたいが、秋子は前の4人ほど世間に知られていない。知られてはいないが、その思想の熱度と働きの熾烈さは4人に優るとも劣らない、と私は見ている。
思うに、管野、伊藤、金子の知名度は、多分にその非業の最期からくる興味に支えられているふしがあり、それ故にさまざまに語られ、書かれてはしたが、アナーキストを自認した彼女たちの思想と活動の跡を仔細に点検したものはほとんど見当らない。高群逸枝は後半生を賭けた女性史著述の違業ばかりがクローズアップされて、これまたアナーキストとしての活動にメスを入れたものが少ない。
つまり、日本の女性アナーキストの思想と活動は、今以て大方が闇に埋もれたまま、婦人解放運動史やアナーキズム運動史から看過されている。このいささか片手落ちな現状に、今まで毀誉褒貶の外にいた八木秋子の著作集『近代の〈負〉を背負う女』の刊行は、異議申し立てをしているかにみえる。
年譜によると、八木秋子は松本の女子職業学校を出て、22歳で結婚したが、愛のない結婚を破壊して家出、女中、小学校教師、新聞記者となって自身の生活を確立する一方、社会運動に接近し、やがてアナキズムの立場を明確にしていった。33歳のとき、『女人芸術』の同人として編集にも参画し、ほとんど毎号評論や創作を発表した。引き続き、アナーキスト系の女性の集った『婦人戦線』にも参加し有力な同人となった。
著作集にはこの時期『女人芸術』誌上に発表したものが主に採録されているが、興味深いのは、それが発端となって10数回に及ぶアナ・ボル論争になった藤森成吉への公開状である。この中で八木秋子は、戦旗派の旗手・藤森に、作家の「誠実」と「イズムの政治目的のために書かれる作品」との矛盾をついてせめよった。それに対するボル派の反駁、更にアナ派による反駁と続いたこの論争は、女性の雑誌における女性のアナ・ボル論争として少なからぬ意味を持つものである。
当時のアナーキストの最大の文芸誌『黒色戦線』に発表した「1921年の婦人労働祭」も読みごたえのある小説だ。革命ロシアの反革命運動に取材して単なるレポートに終らせず、小説としてまとまっている。ほかに短い文芸評論や旅行記も収録されており、いずれにも非凡な洞察力と表現力がうかがえる。このまま文芸家としての道を歩めば、異彩を放つ存在になったろうと思われる。
が、秋子はこの後、かねてからの主張である自由連合社会実現のための実践運動に挺身した。もとより報われることを期待できない運動であり、泥にまみれ、傷つくのも覚悟だったろう。その時期の秋子の発言がどんなものであったか、続刊が待ち遠しい。
江刺昭子(女性史研究家)
☆江刺昭子(えさし あきこ、1942年2月18日 – )は、評伝作家、ノンフィクション作家、作家、女性史研究者。原爆を被爆した作家・大田洋子の評伝『草饐』(くさずえ、1971年)で第12回田村俊子賞を受賞。
八木秋子は、胃癌の父親を看取った後、しばらく木曽で教師をしていましたが、母も看取り、実家を整理して上京します。第15夜で触れたように、東京日々新聞へ偶々投稿した文章がキッカケで勤めることになり、取材活動のかたわら種々の社会運動の集まりや現場に足を運ぶことになります。
そこで出会ったアナキズムに関心が向き、『女人芸術』などに関わりつつ、アナ系の雑誌にも文章を寄せるようになりました。その時の筆名がこれから紹介する「佐上明子」でした。当時、周囲にいたアナ系の人たちに聞くと「八木秋子と佐上明子は同一人物だ」と言いますが、著作集第1巻を発行する時点では確定するには材料が不足していました。そのうち、いくつかの文章を比較したりして確信を得たとはいえ、確定まで及ばなかったのですが、病床の八木秋子を訪ねたある日、「髪を切り男装して警察から最愛の同志を奪還しようとした時期の記憶が甦った」ことを決定打として、通信「あるはなく」に佐上明子の文章を一気に掲載したのは、著作集 Ⅰを発刊した一年後の1979年8月のことでした。
では、江刺さんが紹介する八木秋子(佐上明子)の「恋愛と自由社会」をお読みください。
■八木秋子
「恋愛と自由社会」
近頃のブルジョア雑誌はほとんど競争のように恋愛座談会の記事を売りものにして読者を釣っている。これが一度ある雑誌に現われると我も我もと流行のようにいろんな知名不知名な名前を引っ張り出して看板にしているがそのいうところはたいがい千遍一律で恋愛に永続性があるかどうかとか恋愛と夫婦愛とはどういう違いがあるか、一度にいくたりをも愛しうるものか、とか、中には女医まで引出して処女性の肉体的考察にまで及んでいるが結局どの座談会だって大抵似たか寄ったかのもので常識的な観念的な見方からああだこうだと散漫に喋り合ってお茶を濁しているにすぎない。そこにはなんら来るべき理想社会のもとに芽生えるであろう、真の自由な恋愛観の暗示もなければ、生活らしい生活をも持たないプロレタリアートの恋愛はかくかくだとの指示も見出すことはできない。
とにかく、恋愛という問題は今のどんな階級-ことに無産階級の人達の間に時代の一の動向として、またもっと深い自分の本能生活の一部として真剣に考えられ、新しい観念をうち樹てられなければならないと思う。
かつて山川菊栄氏がコムミニストの立場から恋愛は第二義として取扱われるべきもので、我々はまず現社会の階級戦の闘士として働く、闘争の任務が生活の第一義でなければならないと主張したのに対し、高群逸枝氏がこれを反駁して恋愛は母性としての内在的本能で決して個人愛にとどまるものではなく人類への愛にまで発展すべき要素をもっている。ゆえに女性は既成の私有欲のもとに誤られた恋愛から目覚めて恋愛によって自由社会への理想を凝視し、そこに人類の永遠なる生命を見出すものであるといったアナーキストの立場から抗議をおくったことはまだ最近のことである。
恋愛は山川氏だけでなくすべてのコムミニストからその価値を低められ、もしくは蔑視されている。いま読書階級の間に問題にされているアレクサンドラ・コロンタイ女史の著書『恋愛の道』はこれをよく証拠立てるものである。女史は「三代の恋」の終りにこういっている。
「要するに恋愛は私事であって公事ではない。革命社会における我々の価値はその人がいかに社会的に有用なる働きをなしつつあるか否かによって定まる」と。
そしてコムミニストらがほとんど新社会の恋愛観を発見したかのように騒いでいるこの作を通しての女史の恋愛の解釈も、私達には決して新しいものとは思われない。まあ考えてみるがいい。恋愛は私事だとどういう点から区別したのであるか。ここにも彼らの唯物的機械観が脱線しているのを見る。恋愛は人間の本能ではないか、あたかも食欲によって物を食べるように本能が私事なら生きることも私事ということになる。とすれば何が公事なのか? また社会的に有用な働きがいっさい人間の価値を決めるという言葉もおかしい。それば一面もつともらしく聞えるけれど、社会的という標準が怪しいものだ。コツコツと見えない仕事をして生産に携わっているものも、子供達を骨折って育てる母親も、体の利かない不具者なども、要するに華々しく社会に顔を出して働いているように認められないものはみんな価値がない人間どもで、党の仕事だとか何だとかかって委員会に出席して理論闘争をしたり、書類をもって人民を裁判したり農村から食糧を徴収して日を暮らすような者が一番有用、とされるのであろう。なんと笑止な価値標準だ、そんなことにはお構いなしに労働者は真黒になって縁の下の力持となって下敷にされている。「三代の恋」に現われたコロンタイの恋愛観にしたって少しも新しい観方ではない。ただ、いかにも唯物的で非道徳的で私達女性としてはこんな恋愛観を生む革命社会はまっぴらというより仕方がない。それは私も性欲の自由は認める。認めるどころではない在来の恋愛道徳はみんな既成社会の私有観念から発した誤った道徳であるから今こそうち破られるべきだと思うのである、かといって、どうして母親の愛人を奪っておいて母親の苦悶に平然として「あなたがそれほど私の行為について悩まれるということを前に私が察しられたなら」などと云い放つ娘の心理に同感できよう。彼女はいう「私達はあまりに仕事が忙しくて恋愛をしているひまがないのです。だからたまたま異性と会った時にはその時間を有効に用いるのです」と、組織や党の指令や、書記や軍隊や、そうした革命社会の女の仕事は恋愛ばかりか女性のいっさいを歪めてしまった。
人は何人をも愛することができるし、性の行為は自由で何の道徳的規準に縛られる必要もないし一のカテゴリーの中に入れるべきものではないと思う。恋愛は性欲と友情で食欲と同じ本能だから要求に従って満足のために行動することは人間に許された自由でなければならない。それが今の社会では「罪悪」という言葉で拒否され、私有によって阻まれている。あるものはただブルジョアの男女が金と閑にまかせてその自由を悪用しているのと、恋愛を何よりありがたがる文学青年や少女達がいろんな色どりをつけて世紀末的にやってのけているにすぎない。無産者は完全に食物と同じように、それ以上に恋愛の自由の影さえ掴むことができないのだ。
コムミニストらの恋愛には一つの特質がある。それは彼女らは党あるいは組合の幹部と見られる指導者を崇拝し、恋愛して次ぎ次ぎと移っていくのである。彼らの間には既成社会にあるのとはかたちの異った英雄主義が君臨している、女達はその支配と強制に圧伏されつつも(奴隷的に)崇拝している。だから一たびその崇拝の対象が組合内部からうとんぜられるようなことがあるとたちまちにして恋愛も熱度を失ってゆく。こうした実例を私は見た。そしてルンペンプロレタリアは同じ戦列にある女達からさえも顧みられないでいるのである。
自由社会は、どんな人であっても恋愛の機会を持ち性の要求を満たしうるものでなければならない。限りなき性の自由といえば母性の立場から猛烈に反駁する人もあろう。けれど恋愛はその瞬間にあって必ずしも母性を前提として意識するものとは限らない。女性には生れながらにして生理的に多面的な性的行為を望まない、または拒む作用があり心理的にも異性を選択する本能があるからこの自由のために不幸や無秩序を考えるは杷憂にすぎないと思う。
とまれ、生活意識を個人的なものに閉じこめ闘争の心を回避させるほかのなにものでもない、私有欲に支配されている現在の恋愛はやがてうち破られ、活々とした自由な友情にかがやく赤裸々となり真にプロレタリアの恋愛が私達によって奪い返されなければならない。それは決して英雄主義的なまたは乾枯びた唯物的なものでなく、愛と自由との正しい道徳のもとに-
そしてその素朴な幸福な恋愛生活はきたるべき自由連合の社会においてのみ、私達は求めることができると信じている。●1928年の論壇をにぎわしたアレクサンドラ・コロンタイの「一杯の水」論争に、アナキスト八木秋子が発言する。「恋愛は性欲と友情で食欲と同じ本能だから、要求に従って満足のために行動することは人間に許された自由でなければならない」と。
本篇は『自由連合新聞』29号(1928・11・1)に、佐上明子の名で発表された。佐上明子と八木秋子が同一人物であることは、『八木秋子著作集』編者である相京範昭氏が調査し、確定された。その経緯は通信『あるはなく』11号(1979・8・20)に詳しい。なお、本篇は、同誌掲載のものに拠った。■『愛と性の自由-「家」からの解放』
思想の海へ[解放と変革]⑳ 社会評論社
編者:江刺昭子
編者まえがき
第一部 結婚制度への問いかけ
岸田俊子「婚姻の不完全」
清水紫琴「当今女学生の覚悟如何」「こわれ指環」
福田英子「男女道を異にす」
平塚らいてう「独立するについて両親に」
第二部 時代を拓いた自由恋愛
与謝野晶子「みだれ髪」
岩野清子「愛の争闘」
中平文子「弱きがゆえに誤られた私の新聞記者生活」
大杉栄「一情婦に与えて女房に対する亭主の心情を語る文」
神近市子「三つの事だけ」
伊藤野枝「申し訳だけに」
第三部 愛の解放区
田村俊子「悪寒」
吉屋信子「理想の女性」「黄薔薇」
第四部 一九二八年の恋愛論
山川菊栄「景品つき特価品としての女」
高群逸枝「山川菊栄氏の恋愛観を難ず」
八木秋子「恋愛と自由社会」
柳原樺子(白蓮)「恋愛讃美論」
第五部 性の自立を主張する
荒井郁「手紙」
生田花世「食べることと貞操と」
安田皐月「生きることと貞操と」
伊藤野枝「貞操についての雑感」
深尾須磨子 組詩二篇
阿部定「予審第五回訊問調書」
解説i愛と性の自由江刺昭子*八木秋子「恋愛と自由社会」
1928年のもうひとつの大きな恋愛論争はコロンタイ論争あるいは”三代の恋〃論争といわれるものです。これは、ソ連の革命家で作家のアレクサンドラ・コロンタイの恋愛三部作「恋愛の道」を林房雄が翻訳出版したのに対して、高群逸枝が「新刊良書推奨欄」(東京朝日1928・5/18)にこの本をとりあげ、三代目の女主人公の性行動は伊藤博文と同じで「新しい恋愛観」ではないとしたのに始まり、主に林と高群の間に争われたものですが、これに対してアナキスト八木秋子が所感を述べたのが「恋愛と自由社会」です。
秋子が文中であげている山川菊栄の説というのは、菊栄が「恋愛にだけ勇敢であってはならぬ」(『女性』1914・2)に「恋愛が社会的に有用な作用をするというのは間接的のもので、それは直接には個人の私事にすぎないのであるから(略)より高級な社会的義務の前には、その大切な恋愛をさえ第2位におく決心と勇気とが、近代婦人の最大の特徴」としたのを指しており、秋子は菊栄とコロンタイに共通の恋愛私事説を見て、それに異を唱えているわけです。そして、秋子の主張は「恋愛は性欲と友情で食欲と同じ本能だから要求に従って満足のために行動することは人間に許された自由でなければなら」ず、それができるのは、「来るべき自由連合の社会においてのみ」とするところに眼目があります。
あたかもこの年の3月15日、治安維持法による大弾圧で、地下の共産党員が大量に逮捕されましたが、そのとき「ハウスキーパー」と称する多くの女たちも逮捕されています。その女たちにとって、「既成社会にあるのとは異った英雄主義が君臨」していて、男の支配者たちの「支配と強制に圧伏されつつも(奴隷的に)崇拝している」という秋子の指摘は核心をついています。それは今日の私たちにも有効な指摘ではないでしょうか。
八木秋子は長野県に生れ、女子職業学校を卒業後、小学校教員検定試験にパスしましたが、すぐに結婚上京。しかしその結婚が失敗だったことに気づき、一子をおいて離婚しています。それからは教員や『東京日日新聞』記者になって自立しますが、しだいにアナキズムに拠るようになり、新聞社を退社します。そしてアナキストの立場から評論活動を始めたばかりの評論の一つが「恋愛と自由社会」です。やがて八木はこの年創刊された女ばかりの文芸雑誌『女人芸術』の編集に参加するようになり、翌29年7月号の『女人芸術』にコミュニストの作家藤森成吉にあてた公開状「曇り日の独白」を執筆します。これがよく知られているアナ・ボル論争の口火を切ったことになり、秋子も論争を通じて自身の立場をかためていくことになりますが、それについては本双書第23巻『フェミニズム繚乱』において明らかにされるはずです。
□参考:千夜千冊
★管野すが
【0528】2002年04月30日 荒畑寒村『寒村自伝』上.下
【0736】2003年03月19日 大杉栄『大杉栄自叙伝』
【1206】2007年11月08日 平塚らいてう『元始、女性は太陽であった』
★伊藤野枝
【0020】2000年3月27日 佐藤春夫『晶子曼陀羅』
【0079】2000年6月27日 上村一夫『菊坂ホテル』
【0954】2004年3月25日 寺島珠雄『南天堂』
【1051】2005年7月27日 長谷川時雨『近代美人伝』上・下
★高群逸枝
【0578】2002年7月11日 群ようこ『あなたみたいな明治の女』
【0774】2003年5月15日 小熊英二『単一民族神話の起源』
【0941】2004年2月24日 ダニエル・ゲラン編『神もなく主人もなく』(I・II)
【1201】2007年10月10日 浅羽通明 『アナーキズム』
【1206】2007年11月8日 平塚らいてう『元始、女性は太陽であった』
★八木秋子
【1051】2005年7月27日 長谷川時雨『近代美人伝』上・下
【1206】2007年11月8日 平塚らいてう『元始、女性は太陽であった』