八木秋子への注釈(第41夜〜50夜)

目次

★第41夜  埴谷雄高と八木秋子

それは極度な困難の持続の道であったけれども、しかも、その困難こそ自立の場に他ならぬと長く長く立証しつづけたことに、八木さんの本質的な先駆性が存する。

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★第42夜  注釈:八木秋子の周辺の人たち-川柳作家児玉はる(3)-

人がその随想集を「あるはなく」とされました。なきもまたありと云えるでしょう。(「むらさきの衿」刊行記念句会報より)

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★第43夜  アナキスト・八木秋子のこと 朝日新聞 1978/6/26

アナキスト・八木秋子のこと -著作集Ⅰを中心に-
☆鮮烈な魂の軌跡-農村コムミュンを夢見て-   堀場 清子

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★第44夜  女性のアナ・ボル論争

-『女人芸術』誌上で藤森成吉に公開状- 図書新聞 1978/6/24

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★第45夜  著作集発行の経過と言うべきこと 1978/9/25「あるはなく」第7号

わたし自身、自分の立つ位置を見誤ってはならないという戒めの文章です。爪先立って、必死に、無我夢中で時代に向かおうとして緊張した時間の連続をいまでも思い出します。

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★第46夜  『近代の<負>を背負う女』出版記念会 南澤袈裟松さん

反骨103歳 激動の軌跡-アナーキスト運動→逮捕・投獄→政治家秘書→老人会で反核
百歳万歳記念碑、世界的な自然科学者 ピーター・クロポトキン

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★第47夜  気配を残して立ち去った人たち(1)-信州佐久の農民と農村青年社

アナーキズムに共感を持って戦前活動した人たちが逝ったあとにある気配が残る。私たちはその余韻の中で生かされ、新たに生きる勇気を自覚する。

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★第48夜  南澤袈裟松さん逝く

八木秋子の同志、信州小諸の南澤袈裟松さんが、春まだ浅き3月29日午前10時12分、103歳と8ヶ月の「闘いの軌跡」に終止符を打たれました。

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★第49夜  気配を残して立ち去った人たち-信州佐久の農民と農村青年社(2)

「地方同志・南澤袈裟松の革命と人生」保阪正康
30余年前、信州小諸の自宅を訪ねた際の南澤さんの印象は「骨格のしっかりした、知的な風貌」だった。

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●第50夜 【注釈】をむすんで

西川祐子さんの『日記をつづるということ-国民教育装置とその逸脱』吉川弘文館 
「女性が書く内面の日記-『八木秋子日記』

『八木秋子日記』は、他人に見せない内面の日記とは、同時代の読者を拒否しながら、じつは遠く未来時間の読者にあてて書く手紙ではないか、ということを考えさせる。

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