目次
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★第11夜 出会いと背景 その六 八木秋子の場合
老人ホーム入寮までの顛末。
通信発行の動機は竹内好の死と埴谷雄高。
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★第12夜 八木秋子 老人ホーム養育院へ(1976年12月10日)
身の回りのもの以外は私物厳禁。
原稿・日記・読書ノートの保管を引き受ける。
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★第13夜 八木秋子個人通信「あるはなく」第1号
「あるはなく」第1号 発行にあたって。
82歳の八木秋子の文章に驚く。
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★第14夜 題名「あるはなく」への注釈
「ある」と「なく」、その「あいだ」に熱意を込めて
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★第15夜 八木秋子は投書がきっかけで新聞記者に
両親の位牌と手廻りの小行李一つ背負って雪に埋まるる故郷を後に上京したのは10月10日。
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★第16夜 島崎こま子と八木秋子
秋子とこま子は、「天皇の国家」が戦争に向かう時代に、その圧倒的な権力に身を挺して抵抗し、愚直に、一途に、変革に向けて突き進んだのでした。
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★第17夜 島崎藤村と八木秋子
「アナキストは詩人の一面がある。絶対に口外しない。ヒューマニズムの哲学を感じる」という藤村の言葉
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★第18夜 清沢洌と八木ふじ
「世の中には誠に不思議なことがあるものだ。私はあなたによく似た人とアメリカのタコマで会ったことがある」清沢洌は嘆息交じりで八木秋子に語りかけた
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★第19夜 小川未明と八木秋子
未明からナロードニキ・ロシア文学や伊藤野枝らの赤瀾会などを紹介されたことがその後の、いや秋子の一生を決定づけたことは間違いないと思います。
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★第20夜 小川未明と大杉栄、そして八木秋子
未明と大杉たち、そして秋子が交差した関東大震災。
これは忘れがたい出来事として銘記したいと思います。
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