八木秋子への注釈(第31夜〜40夜)

目次

★第31夜  対話1977年9月23日(3)

【八木】83だ(笑)。だけど長かないよ。ああ、それにしても、さっきの埴谷さんの言葉のようにああいう言葉をチラッチラッって言うことはいいことね。

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★第32夜  注釈:八木秋子の周辺の人たち-翻訳者はしもと・よしはるさん-

出版記念会で”文体を持っている”と評した橋本義春さん、通信の印刷と製本をやって下さったという事実のみわたしは記憶することにします。

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★第33夜  アブダクション

通信「あるはなく」の発行を続けながら、どんな思いを抱きながら八木秋子との関係を考えていたか、その根源と思われるものを探ってみたいと思います。

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★第34夜  先達からの眼差し

出会いから現在までの八木秋子との世界は「パサージュ」であり、彼女との関係は「アブダクション」の連鎖であったと思います。

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★第35夜  「あるはなく」第3号 わたしの近況

この文章は八木秋子の「覚悟と抵抗の姿勢」が明確に見える得難い文章となっていると思います。

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★第36夜  転生記(1)

養育院での八木秋子の日記:「転生記」。
1977年7月の第1号から翌年の3月に発行される第5号までのもの。

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★第37夜  転生記(2)

「転生記」は、およそ1年間にわたる日記で、彼女は何冊かの小さな手帳に書き続けていました。
そのうち、今回は生活に関わるものを抽出しました。

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★第38夜  転生記(3)

「転生記」を書いた期間は、わたしと八木秋子が最も頻繁に共同作業を進めた「熱っぽい雰囲気」に充ちた時期でした。それ以降は著作集Ⅰ刊行へ疾走しました。

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★第39夜  八木秋子著作集Ⅰ  『近代の<負>を背負う女』

通信『あるはなく』は私が書物や原稿のはしきれまで失って屍のような老人の姿を部屋の中に置いたとき、私の若い友が心に閃いた私のよみがえりの幻像であったかもしれない。

老人の幸せとは何であろうか、私はそれをおもいつづけている。

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★第40夜  八木秋子報道される:共同通信社配信 / 1978・6・21

波乱に満ちた自立への闘い
 個人通信「あるはなく」発行  八木秋子さん

◆家を捨て子とも別れ 良心に生きる老女の叫び   中村 輝子

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